起業を志す人必読「スティーブ・ジョブズ起業成功の秘訣」
起業をしようとするとき、誰でも夢は持っていると思います。
しかし、起業は自分だけではなく、周りの人の一生も左右する可能性があるものです。
起業を成功させるためには、入念な起業準備が大事です。
起業に際し、どのような苦難や危機があるか不安でもあると思います。
また、準備は何が必要かわからないことが多いと思います。
そのなかで、実例を学ぶのも、実践的な得られることが多いのではないでしょうか。
今回は、天才的大起業家スティーブ・ジョブズを取り上げました。
起業家、スティーブ・ジョブズの人物像や事業のポイント、成功の秘訣について紹介します。
大起業家でも、最初の一歩は同じです。苦難を乗り越えて成功にたどり着いています。
起業を成功させる視点で書きましたので、ノウハウをつかんで、起業に効果的な準備をしてください。
目次
1.スティーブ・ジョブズとは
米アップル社創業者の一人。1955年2月24日生まれ。米カリフォルニア州出身。
1976年、スティーブ・ジョブズ(ジョブズ)は友人のスティーブ・ウォズニアックが自作したマイクロコンピュータ「Apple I」を販売するために起業することを決意。
同年4月1日「Apple Computer Company(アップルコンピュータ・カンパニー)」を創業しました。
Apple Computer(アップル社 )が1977年に発売した「Apple II」は商業的な大成功を収め、パーソナルコンピュータという概念を世間一般に浸透させました。
アップル社 はシリコンバレーを代表する企業に急成長を遂げ、ジョブズは1980年12月のアップル社 IPO時に2億5,600万ドルもの個人資産を手にしました。
1985年、 ジョブズはマッキントッシュの売り上げ不振などを理由に解雇されます。
Apple退職後、教育やビジネス市場向けワークステーションの開発製造会社「NeXT社」を創業。独自OS「NeXT OS」搭載のコンピューターを発売しました。
1997年には、当時低迷するアップル社に暫定CEOとして復帰。
同年には、不倶戴天のライバルとさえされていたマイクロソフトとの提携と、同社からの支援を得ることに成功。
また社内ではリストラを進めてアップル社 の業績を向上させました。
同年、斬新なデザインのパソコン「iMac」をヒットさせました。
2000年には正式にCEOに就任。
その後は、iPod・iPhone・iPadを発売。
アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させました。
2011年には、アップル社の売上高が過去最高となりました。
2.事業のポイント
起業後の、事業展開での重要事項です。
経営理念
アップル社 には文章化された経営理念がありません。
しかし、文章化されなくてもジョブズの圧倒的に説得力のあるプレゼンテーションやスピーチが、 アップル社 の経営理念・経営哲学だったのです。
ジョブズが出した経営哲学は
「Think Simple」です。
シンプルで一貫することで、機能、デザイン、生産、販売まで、競合にない価値を生み出しました。
また、1997年ジョブズの アップル社 復帰後のメッセージは 「Think different(発想を変えろ)」です。
ジョブズは、「クレージーと言われる人こそが、自分が世界を変えられると本気で信じ、本当に世界を変えている。」と言っています。
機会(外部環境)
マイコン・ブーム
1975年、Altair 8800というコンピュータ・キットが発売され人気を博していました。
大学を中退しアタリの技術者として働いていたジョブズと、その友人でヒューレット・パッカード (HP) に勤務していたウォズニアックは、シリコンバレーのコンピュータマニアによる「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ (HCC)」の会合に頻繁に参加していました。
そこでは、Altair 8800のニュースで盛り上がり、このマイコンの情報交換と研究に夢中でした。
ウォズニアックは、筐体やモニタ、キーボードなどを持つマイクロコンピュータAppleⅠを独力で設計し、完成。
ジョブズは、このマイコン・ブームをビジネスチャンスとみて、AppleⅠの新事業を立ち上げることを決意したのです。
経営危機
Macintoshの過剰在庫、業績の悪化
1984年1月24日にMacintoshは発売されました。
一般向けPCとしては初めてマウス操作によるGUIを搭載しており、当初はメディアからの称賛を浴び1984年4月末の時点で5万台を売り上げるなど販売も非常に好調でした。
しかし、2,495ドルという価格が一般向けPCとしては高額であったことと、対応ソフトの不足がわざわいし、発売から数カ月が過ぎるとMacintoshの販売は停滞し始めました。
1984年後半、アップル社は過剰在庫に悩まされ、初めての赤字を計上してしまいました。業績の悪化により、アップル社は従業員の5分の1にあたる人数のレイオフ(人員削減)を余儀なくされました。
結局、ジョブズは責任を取る形で、アップル社から追放されることになったのです。
ターニングポイント
Apple IIの成功
1975年、ジョブズらは50台のApple Iを完成させてバイトショップに納入しました。
バイトショップとの取引により約8,000ドルの利益を得たジョブズはさらなる事業拡大を望み、そのためには多額の融資が必要でした。
若くして引退生活を送っていた個人投資家マークラは、ジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月に引退から復帰して アップル社 に加わりました。
マークラは自分の個人的資産から9万2,000ドルを アップル社 に投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルもの信用供与を確保。
投資の見返りとして、マークラは アップル社 の株式の3分の1を受け取りました。
他方、ウォズニアックはApple Iの改良を着々と進め、1976年8月末の時点で後継機となる「Apple II」のプロトタイプを完成させていました。
Apple Iの後継機種である「Apple II」は、1977年4月に開催された第1回「ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア」で初めて発表され、その後希望小売価格1,298ドルで発売されました。
Apple IIは基板やキーボード、電源装置などが一体化された筐体でした。
テレビ等の外部ディスプレイを接続すればすぐにコンピュータとして使用することができたほか、ディスプレイにカラー表示することが可能なのも大きな特長でした。
1980年には設置台数で10万台、1984年には200万台を超え、 アップル社 に大きな利益をもたらし経営基盤の確立に貢献したのです。
パートナー
スティーブ・ウォズニアック
「Apple Computer Company」のビジネスパートナー。
AppleI、Apple IIの開発者で、アップル社の技術基盤づくりに貢献しました。
1971年の夏、16歳のジョブズは友人ビル・フェルナンデスの紹介で当時21歳のウォズニアックと知り合い、すぐに意気投合しました。
1976年、ジョブズとウォズニアック、そしてロナルド・ウェインの3人は、カリフォルニア州のビジネスパートナーシップとして「Apple Computer Company」を創業しました。
ウォズニアック はR&Dを担当し、 Apple I Apple Ⅱの設計開発、マッキントッシュ等のアイデア創出を行いました。
ジョブズは稀代のカリスマであり、セールスマンであり、イノベーターでした。一方で、コンピューターの革命家ウォズニアックがいたからこそ、ジョブズは世界一の経営者となったのです。
3.起業成功の秘訣
先見性
自作PCの商業的可能性
1975年、ウォズニアックは、当時HCCで高く評価されていたIntel 8080の代わりに、安価なMOS 6502を処理装置とするコンピュータの自作を開始し、1976年3月までにApple Iの原型となるマシンを独力で完成させました。
完成品をHCCの会合に持ち込み称賛を浴びました。
当時のコンピューターは、大型の汎用機かミニコンしかなく、とても高価で個人で持てるものではありませんでした。
せいぜいコンピュータマニアが、マイクロプロセッサを利用したコンピュータキットを購入して、自分で命令を直接入力して簡単な機械制御を楽しんでいる程度だったのです。
そこに、マザーボードにキーボードとビデオディスプレイが接続できる世界最初の個人用マイコン(PC)を製作したのです。
ウォズニアック自身はマシンの回路図をHCCで無料配布することを望んでいました。
しかしジョブズはこのPCの価値と商業的可能性に商機を直感し、このコンピュータを利用してビジネスを始めるべきだと訴えました。
2人は当初、それぞれの勤務先であるHPとアタリにマシンの製品化を提案しましたが却下されたため、自ら起業してプリント配線板の製造・販売を行うことにしたのです。
グラフィカルユーザインタフェース(GUI)の価値
1979年、ジョブズは1979年12月にゼロックスのパロアルト研究所(PARC)を見学し、そこで見たマウスによって操作される先進的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)に強い衝撃を受けました。
GUIの革新性と操作性の良さは、今後のPCの方向性には必須のものだと直感しました。
ジョブズは当時アップル社で開発中だった次世代コンピュータ「Lisa(リサ)、にPARCで目にしたようなGUIを他社に先駆け実装することを決断したのです。
ビジネスセンス
Apple Iでのパーツ購入交渉
1975年、ジョブズはマウンテンビューのバイトショップ店舗に押しかけ、Apple Iの配線板を売り込みました。
その場でApple Iを50台受注しましたが、条件として配線板ではなく「組み立て済みの完成品」を納入するよう要求されました。
手持ちの資金では、それだけ多くのApple Iを組み立てるためのパーツは購入できませんでした。
そこで、ジョブズは怪しむパーツ業者に、バイトショップに目の前で電話し取引が存在することを確認させ、30日間の支払猶予つきでパーツを購入することに成功しました。
マイクロソフトから1億5,000万ドルの資金提供獲得
ジョブズが暫定CEOとなった1997年度の アップル社 の業績は、約10億5000万ドル(当時のレートで約1260億円)の赤字、売上利益率はマイナス15%と散々で危機的状況に陥っていました。
この危機を回避するため、ジョブズ は マイクロソフト と取引して、マイクロソフトから1億5,000万ドルの資金提供と業務提携を獲得しました。
ジョブズがビル・ゲイツに提示した条件は、「マイクロソフトがウィンドウズを開発した際に、MacのGUI部分を盗用した」とアップルが起こしていた訴訟は取り下げるというものでした。
そして、訴訟を取り下げる代わりに、マイクロソフトは1億5000万ドルで議決権なしのアップル株を購入し、少なくとも3年間は売却しない。
そして、Mac用のアプリ、ワードとエクセルを開発するという内容でした。
当時、マイクロソフトがPC市場を独占しているという米司法省の主張を恐れていました。
そこで アップル社 が 生き残ることで、競合の存在を示そうと、ジョブズが提示した条件をのんだのです。
その後、アップル社 は ジョブズ の経営により、史上空前の復活劇を遂げることになります。
マーケティング力
Macintoshの衝撃的プロモーション
1984年、アップル社はスーパーボウルのCMで、IBMを挑発するかたちで「Macintosh」を発表し、業界を震撼させました。
スーパーボウルとは、毎年1~2月に行われる全米フットボールリーグ(NFL)の王座決定戦。テレビ視聴率は軒並み40%を超え、視聴者数は約1億4000万人ともいわれる国民的なお祭りです。
1984年1月22日の第18回スーパーボウルの際に、9000万人の視聴者の前で、全米で一度だけテレビCMとして放送されました。
黒い暴動服を着ている棍棒で武装した4人組に追われた女性。
女性は、ビッグ・ブラザー(全体主義の独裁者)が最後に「我々が勝利する!」と宣言する中、駆け上がりテレスクーンに向かって叫びながらハンマーを投げつけます。テレスクリーンが砕け散り、光と煙の突風を発生させ、観客に驚きの声が広がるというものでした。
当時のコンピュータ業界で支配的立場にあったIBMをビッグ・ブラザーに見立てています。
Macの分かりやすい操作が、既存のPCインターフェースのしがらみから、人々を解き放すことを表現しています。
マウスを用いた使いやすいGUIのコンピューターが、一般向け市場に初めて登場し、パーソナルコンピューティングにとって画期的な前進を象徴するCMとなり、衝撃を与えました。
製品デザイン力
ジョブズは製品のデザインでは、機能性の伴う操作性とシンプルさを徹底的に追及しました。
それは、現行にこだわず、顧客の本質的な欲求を考えたもので、革新性を生み顧客の絶大な共感を得ました。
ジョブズは、Apple IIcでは、当時としては非常に薄型と言えるスタイリッシュなケースに納め、「ポータブルなコンピュータ」としての位置づけを前面に押し出しました。
実際、5インチのフロッピーディスクドライブまで内蔵したオフホワイトのケース後部にはハンドルが設けられており、3キロ強の本体重量と相まって、1980年代のマシンとしては十分に可搬型と言えるものでした。
Macintoshには、シンプルな美しさが必要だと考え、基板パターンが美しくないという理由で、設計案を幾度となく却下。
また、同様の理由で拡張スロットの採用を拒否したり、みすぼらしいフロッピードライブのイジェクトボタンをなくし、オートイジェクトを導入させたりした。筐体は、机上の電話の横に置かれる電話帳ほどの大きさが理想として、30cm四方のサイズに収まるように提案しました。
iMacでは、ラディカルなデザインがパソコンの歴史においてエポックメイキングなものとなり、その後の半透明グッズブームの発端となりました。
また、レガシーデバイス(RS-422シリアルポート、フロッピーディスク、ADB、SCSI)を廃し、USBを全面的に採用するという斬新な仕様で発売されました。
これらの、ユーザーの本質的な欲求を考えかつシンプルさ追求したたデザインにより、「 アップル らしさ」というブランド価値を生みました。
その結果アップル ブランドは、圧倒的な優位性を確立し、世界のブランド企業価値ランキングで第1位(インターブランド・ベスト・グローバル・ブランド2016年)を獲得しているのです。
まとめ
起業して成功するには、ビジョンや熱い情熱はもちろん大切ですが、
先見性、ビジネスセンス、マーケティング力も重要であるということがわかりました。
機会をとらえて起業し、経営危機を乗り越え、経営理念を確立することが必要です。
あなたの心に沸き上がる熱い思いを、冷静かつ戦略的に形にしていけば、
起業は人生における大チャレンジの始まりになるでしょう!
出展:ウェキペディア