「孫正義・起業成功の秘訣」で起業成功率UPを!
起業を考えている人は、「起業での課題の乗り越え方」「成功するための起業戦略」など成功法について知りたいと思います。
多くの人が成功する起業方法を知ろうとしますが、決まった成功の起業方法などは存在しません。
しかし、成功する起業方法はなくても成功確率をあげることは可能です。
この記事では成功する起業方法ではなく、成功している起業家の具体的な秘訣を紹介していきます!
大起業家でも、最初の一歩は同じです。また、苦難を乗り越えて成功にたどり着いています。
起業を成功させる視点で書きましたので、参考にして起業の成功確率をUPしてください。
目次
1.孫正義とは
起業家,ソフトバンクグループの創業者です。
1979年カリフォルニア大学バークリー校留学生時代に開発した自動翻訳機をシャープに売り込み1億円を得、その後の起業の資金としました。
帰国後,1981年日本ソフトバンクを起業し、コンピュータ・ソフトウェアの卸売りを開始、
1982年にパソコン雑誌『Oh! PC』『Oh! MZ』を創刊しました。
2001年にインターネットのブロードバンド(高速大容量)接続サービス「Yahoo! BB」スタートし、通信業に進出。2006年にはイギリスの通信会社ボーダフォン日本法人の買収し、携帯電話事業者への仲間入りを果しました。
さらに、2016年世界中から約10兆円の資金を集め、その資金をファンドとして成長分野の新規事業に投資する投資会社へと変貌しています。
現在、資産額は4兆8920億円(フォーブス2021年「日本長者番付」)で、日本では第1位の大富豪になっています。
起業家孫正義の人物像について、その人物形成からたどります。
影響を受けた人物
坂本竜馬
高校入学後、家庭教師に薦められた司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読しました。
孫は、竜馬のことば「世に生を得るは事を成すにあり」に大変感銘を受け、その当時から高い志を持ちたいと考えるようになりました。
この世に生まれた限り自分にしか成し遂げられないことを実現しようと志したのです。
藤田田
孫は高等学校1年生のとき、研修旅行で行ったアメリカで刺激を受け、高等学校を中退しアメリカへ行く決意をします。
孫は、藤田田の『ユダヤの商法―世界経済を動かす』という書籍を読んで感動し、面会するために藤田の会社に行きます。
「ユダヤの商法」を読んだこと、そして「今度渡米するのだが、アメリカで何をすべきか」と尋ね、コンピューター関連を学ぶように助言されます。
これが後に、情報革命実業家の「孫正義」を生み出すキッカケとなりました。
モットー
孫の座右の銘は
「志高く」です。
多くの人々の願望、多くの人々が困っていることを助けてあげたいという志です。
2.事業のポイント
起業後の、事業展開での重要事項です。
経営理念
(SoftBank Group HPより)
「情報革命で人々を幸せに」
ソフトバンクを立ち上げ、この志を経営理念として掲げています。
機会(外部環境)
PCブーム到来
孫はソフトバンク起業時、コンピューターの浸透による“デジタル情報革命”を目指していました。
1982年にMS-DOS のPC-9800シリーズが登場し、ホビー用としても人気に。そこで多数のゲームソフトが登場し、PCブームが到来しました。
このPCブームは“デジタル情報革命”を実践する好機到来でした。
すかさず、パソコンソフトの流通業に、さらにパソコン機種別の専門雑誌「Oh! PC」「Oh! MZ」を創刊し出版事業に進出しました。
出版事業は、その後拡大するSoftBank事業の財務基盤を固め、キャッシュフローを支えることになるのです。
インターネット・通信の普及
1980年代の後半から1990年代前半は、パソコンLANによるネットワーク化と、パソコン通信が盛んになりました。
さらに、1995年に発売されたWindows95はIEが標準装備されていたため、インターネットが爆発的に普及しました。
そこで、孫は1996年を「インターネット元年」と位置付け、インターネット・通信事業に進出します。
まず、1996年に米ヤフー社とソフトバンクの合弁でヤフー(Yahoo! JAPAN)を設立。
さらに2001年から、ブロードバンドADSL接続サービスのYahoo!BBを開始しました。
経営危機
2000年、ネットバブル崩壊で株価100分の1に急落
2000年代初頭、アメリカの IT バブルが崩壊したあおりを受けて、日本でもネットベンチャーやIT企業が、次々に倒産する事態となりました。
ソフトバンクも打撃を受けて、自社株は100分の1にまで低下し、ソフトバンクの全体の時価総額が20兆円から2000億円まで下がりました。
ソフトバンクの財務バランスシート上、多額の損失をだしました。
このような経営危機にかかわらず、2001年からヤフーと共同でADSL接続サービスのYahoo!BBの提供を開始。顧客数は500万人を獲得しました。
2004年には日本テレコムを買収、子会社化し固定通信事業に参入。日本テレコムが持つ数百万人のユーザーと通信事業の優秀な人材を手に入れます。
さらに、2006年ボーダフォン株式会社の株式を取得して子会社化、モバイル通信事業へ参入しました。
なぜ、多大な損失を出しても、倒産せず次々と事業継続・拡大できたのしょうか。
それはソフトバンクは、投資会社の経営をしていたからです。
投資会社の場合は、先にまずカネが外に出て、そのキャッシュの回収は投資先の株式売却で行います。
すなわち、投資会社としての株価低下による赤字は、キャッシュを伴わない単なる数字でしかありません。
償還・返済期限が迫っていないかぎり、赤字となっても資金繰りには影響せず倒産しないのです。
ソフトバンクは、市場から高く評価される投資をおこない、企業価値を上げ信用をつけ巨額の資金調達を可能とし、
つぎからつぎへと投資する戦略をとりました。
このようにソフトバンクは、経営危機に見えても倒産せず、次々と事業拡大していったのです。
ターニングポイント
2001年、Yahoo!BB設立
2001年からのADSL接続サービスYahoo!BBでは、業界最大手であるNTT よりも早い回線速度を目指しました。
ただ、これを実現するためにはNTTの局舎に入って、その中でソフトバンクの通信機器とNTTの接続ポイントを繋ぐ必要がありました。
NTTは、先に書類で手続きをしないと繋いでくれない、書類が役所仕事のように遅い、書き間違いがあると全部がやり直し。
このようなNTT の対応の悪さに、事業の進行が困難であると感じた孫は、総務省へ直談判へ。
拉致のあかないNTTに、事業妨害を総務省が対処しないのであれば、灯油をかぶって火をつけると、必死に迫りました。
この一件により、NTTが折れ独占していた回線を使う事ができるようになり、通信の自由化が加速しました。
「Yahoo! BB」は、従来と比較して4倍以上の通信速度下り最大8Mbps、月額2,280円でリリースし、市場に大きなインパクトを与えました。
2003年8月には300万人を突破するまでに会員を伸ばし、日本のブロードバンド普及をけん引役したのです。
3.起業成功の秘訣
先見性
インターネット時代の到来予測
1994年7月にソフトバンクは株式を店頭公開し、軍資金を手にしました。孫は、これからのインターネット時代に合う投資先を探しました。
そこで、1995年当時アメリカの人気ウェブサイトだった「Yahoo!」に目を付けたのです。
会社ができたばかりの「Yahoo!」のあるシリコンバレーに乗り込み、直接交渉で青田買いを成功させました。
1995年11月ヤフー株式会社(現在のZホールディングス)を設立。
さらに、1996年4月米ヤフーに115億円追加出資して筆頭株主となりました。
2000年、孫が予想した通り本格的なインターネット時代が到来し、米ヤフーの株価は一時、3兆円の含み益を生むまでに。
そして2000年2月15日、ソフトバンクの株価は19万8,000円の史上最高値をつけ、孫は一躍インターネット時代の寵児となったのです。
モバイルインターネット時代の確信
1990年後半、携帯電話の小型化・低廉化が進み急速に普及しました。
また、2000年にJ-PHONE が携帯電話端末にカメラを搭載し、撮影した画像を電子メールに添付して送信する機能を提供しました。
さらに、2006年第3.5世代移動通信システムを用いたサービスが始まり、画像や動画の閲覧が円滑に行うことができるようになり、携帯電話でのインターネット利用シーンはより豊かになっていきました。
このような状況から、孫は、モバイルインターネットの時代が来ると確信。
2006年4月、ソフトバンクの時価総額がおよそ6000億のとき、なんとその3倍の1兆8000億円でボーダフォンを買収し、移動通信事業に参入したのです。
そしてまず、2007年上期中に3G基地局を47,439局に倍増しネットワーク能力強化を図りました。
さらに、2008年にソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)により「iPhone 3G」の販売を開始。
また孫は、「1企業あたり5台のiPhone を無料で貸し出す」と宣言。これを機に従業員向けの業務ツールとしての大量導入が始まりました。
好感度のコマーシャルや独自のアイディアにより、2007年5月から20カ月連続の契約者純増数No.1を達成し、ソフトバンク飛躍の原動力となったのです。
チャレンジ精神
1981年、起業直後大阪エレクトロニクスショーで大ブース開設
1981年9月孫は、福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立パソコン用パッケージソフトの流通事業(卸商)を開始しましたが、すぐに、情報のつかみやすい東京に進出しました。
すると、家電の見本市であるエレクトロニクス・ショーが、10月大阪で開催されるという情報を入手。
当時パソコン用パッケージソフトの流通業界には組織的な流通機構はありませんでした。
そこで孫は、国内で入手可能なソフトを一堂に集めユーザーや販売会社などに展示すれば、ソフトバンクが流通業者と認知されるチャンスと考えました。
孫は一大決心をし、この見本市に最も大きなブースを借りるため800万円をだしました。実に資本金の8割で、起業直後のソフトバンクとしては賭けに近い大きなチャレンジでした。
そして展示会終了の数週間後、大阪の上新電機から電話がはいりました。
パソコン専門大型店開店での、ソフトの品揃えの相談でした。
そことき孫は、強引にもソフトの独占取引を申し入れ契約の約束をとったのです。
さらに、日本のディーラーに、ソフトバンクが上新電機のソフト販売を独占的に請け負っていることを宣伝しました。
その結果なんと、約1ヶ月で日本の大手ディーラーのほとんどがソフトバンクの顧客に。
上新電機と契約するまで、ソフトバンクの売り上げはほとんどゼロでしたが、契約後は売り上げがどんどん増加し、1年間で売上高が36億円にもなりました。
行動力
1978年、電子翻訳機開発での協力要請
孫は1978年、カルフォルニア大学在学中に「音声機能付き他言語翻訳機」を考案しました。しかし、自分だけではアイディアを製品開発する力はありませんでした。
製品開発には、辞書とスピーチ・シンセサイザーと電卓の三つの組合せ技術が必要でした。
そこで孫は、物理やコンピューターに携わる専門家に、片っ端から電話をかけ協力要請の直談判しました。
実に、世界初実用化に成功した音声発信技術の権威者・フォレスト・モーザー博士に、機械ができたら日本の企業に売り込みその契約金を成功報酬するということで了承を得たのです。
そうした努力が実り、「音声機能付きの他言語翻訳機」の開発が成功しました。
そして1979年、SHARP で当時技術本部長を務めていた佐々木正氏に開発した技術を売り込み、1億円の出資を受ける契約を獲得したのです。
ボーダフォンジャパン買収前にスティーブ・ジョブズと交渉
2005年当時、ソフトバンクは携帯電話の新規事業免許を取得する準備を進めていました。
新規参入するソフトバンクは、先行他社に対抗できる音楽携帯を必要でした。
2006年、孫はこの対抗機種として、iPodを拡張した音楽携帯を考えジョブズ作って欲しいとお願いに行きました。
ところが、ジョブズがすでにモバイルインターネットマシーンを開発している感触を得た孫は、完成したら日本での独占販売権がほしいと交渉しました
ジョブズは、孫の携帯電波の許認可取得を条件に独占販売権を与えるという、口約束を交わしました。
その口約束の2週間後(2006年4月)、孫は1.8兆円でボーダフォンジャパンを買収したのです。
これによりソフトバンクは携帯電話事業者への仲間入りを果たしました。
そして、ジョブズは孫との約束を守ります。
ジョブズが孫に提供したものは、孫がお願いしたものをはるかに超えた、あらゆる機能を詰め込んだモバイルフォン、iPhoneだった。
2008年7月11日、日本で唯一の事業者として「iPhone 3G」を発売し、その後の大躍進となったのです
まとめ
いかがでしたでしょうか。
最後にもう一度、起業成功のポイントを整理しておきますね。
・先見性
・チャレンジ精神
・行動力
今回は、「大起業家孫正義成功の秘訣」というテーマで、
これから起業する人や、起業したけれどもなかなか結果がでないという方向けにお話しました。
大起業家といえども、基本は同じです。
是非あなたの参考にして、起業を成功させて下さい。
出典:ウィキペディア
SoftBank group HP