「ビル・ゲイツ起業成功の秘訣」にあった起業のヒント!

起業をしようとするとき、誰でも夢は持っていると思います。

しかし、遭遇する苦難や危機に不安を抱き、
必要な準備のため勉強をしているではないでしょうか。

そこで、具体的に実例を学ぶのも、得るものは大きいのではないでしょうか

今回は、アメリカを代表する大起業家、ビル・ゲイツを取り上げました。

起業家、ビル・ゲイツの人物像や事業のポイント、成功の秘訣について紹介します。
大起業家でも、最初の一歩は同じですし、苦難を乗り越えて成功にたどり着いています。

起業を成功させる視点で書きましたので、参考にしてノウハウやヒントをつかんでください。

(1)ビル・ゲイツとは

ビル・ゲイツは(ゲイツ)、実業家、技術者、プログラマー、マイクロソフトの共同創業者兼元会長兼顧問
米ハーバード大学在学中の1974年に友人のポール・アレン(アレン)とAltairというマイコン向けのBASICを開発。
1975年にハーバード大学を中退し、アレンとマイクロソフトを創業しました。

1980年代に、IBM社にパソコン向けにOSを開発し、MS-DOSを生み出しました。

1990年GUIを実装した「Windows 3.0」を開発し、1995年発売の「Windows 95」は全世界でインターネットブームを引き起こしました。


出展:ウィキペディア

また、「Microsoft Office」やWebブラウザ「Internet Explorer」なども、デファクトスタンダード(事実上の標準)として広く受け入れられました。

マイクロソフトの急成長に伴い、ゲイツの資産価値は上昇し、アメリカ経済誌『フォーブス』の世界長者番付で1994年から2006年まで13年連続で首位を保ちました。

現在の資産総額は1340億ドル億ドル(2021年米長者番付「フォーブス400」)です。

(2)事業のポイント

起業後の、事業展開での重要事項です。

経営理念

「Empowe revery personand every organization on the planet to achieve more.(地球上のすべての個人とすべての組織が、より多くのことを達成できるようにする)」

を企業ミッションとしています。

機会(外部環境)

マイクロコンピュータ ブームの到来

1974年に、8080マイクロプロセッサを採用したAltair 8800( Altair ) が発表されました。
Altair は小型化されたミニコンピュータであり、箱型の筐体にCPUや記憶装置を収容し端末を接続する形態でした。

1974年、Altair の紹介記事を読んだゲイツとアレンは、Altairの可能性と、 エンジニアやマニアなどの関心の高さを感じ、Altair で動く言語の開発にビジネスチャンスであると直感した。

Altair
出展:ウィキペディア

彼らはシアトルのレイクサイド・スクール在学中からBASIC言語のプログラムを書いており、AltairがBASIC言語を実行するのに十分なパワーを持っていることが分かっていました。

そこで、 Altair の製造者であるMITSに電話をし、 Altair 向けBASIC言語実装のデモンストレーションをしたいと売り込んだのです。

ターニングポイント

IBMと「PC DOS」の著作権をライセンス契約

1980年にIBMは、Apple IIの成功を見てパーソナルコンピュータ市場への本格参入を図ることにし、IBM PCの開発に乗り出しました。
短期に開発することを目指していたため、オペレーティングシステム については自社開発を諦め、既存のOSを採用・改良することにしました。

当時多くのパーソナルコンピュータのOSとして普及していたのは、デジタルリサーチが開発したCP/Mでした。
しかしOS採用をめぐるIBMとデジタルリサーチとの交渉は不調に終わりました。
そこで、IBMはマイクロソフトにOSの開発を要請してきました。

これを受けマイクロソフトは、当時86-DOSと呼ばれていた16bitオペレーティングシステムのライセンスを、シアトル・コンピュータ・プロダクツ社から購入し、これを改良することで対応することにしました。
マイクロソフトは「PC-DOS」という名前でIBMに納品しました。

ゲイツは IBMとの交渉で、したたかにも「PC-DOS」 の著作権をIBMに譲渡することを断りライセンス契約にしました。
PC-DOSをMS-DOSという名前で他のパーソナルコンピュータにもライセンス供給することをIBMに了承させたのです。

IBMは、パソコンの仕様書を公開しIBMのパソコンは売れまくります。そして、IBMの仕様書を参考に他社も同じシステムの互換機を売り出します。
互換機にMS-DOSが搭載され、 互換機 が売れるたびにマイクロソフトにお金が入ってくることになりました。

このことが契機となり、マイクロソフトのMS-DOSはコンピュータ業界における主要OSとなったのです。

パートナー

ポール・アレン(BASICの共同開発者)

起業から創生期、マイクロソフトを技術的に支えたのが、ポール・アレン(アレン)です。
1975年、Altair向けBASIC言語の開発では、アレンがAltairのエミュレータを開発し、ゲイツがその上で動くBASICインタプリタを書く形で開発が進められました。1977年の2月、マイクロソフトをパートナーシップによる経営として、ゲイツとアレンが正式に契約書を交わしました。


1981年6月に マイクロソフトを 再編成し、ゲイツは社長兼会長となり、アレンは副社長となりました。

アレン(左)とビル・ゲイツ(1970年、シアトル・レイクサイドスクールにて)
出展:ウィキペディア

アレンはハードウェアとインターフェースに強いという特徴を持っていました。それに対し、ゲイツはソフトウェアにしか関心がなく、2人の興味は対照的と言えます。

開発は2人で行い、アイデアだしはアレン、実務はゲイツが行いました。
そうやって、技術も性格もお互いを補完しあっていくことで素晴らしいコンビネーションを発揮しました。

(3)成功の秘訣

先見性

GUIの将来性

1982年の秋ゲイツは、コムデックスでビジコープ社のVisiOnがMS-DOS上でGUIを実現するデモを見て、その機能性に驚きました。
その時、マイクロソフトはGUI対応をしていませんでした。
そこでGUIへの変化に乗り遅れまいと、ゲイツはインタフェース・マネジャーという名称で、同様の機能を持つソフトウェアを発売する予定であると発表してしまいました。

しかしその後の開発は難航し、製品発売予定は守られずに何度も延期されました。

最初の製品 Windows が発売された時には1985年になっていました。
既に1984年にアップルからGUIを有するMacintoshが販売されており、Windowsは機能的にはMacintoshに大きく見劣りするものでした。

Windowsが現実的に使えるシステムになるのは、1990年のWindows 3.0の時です。
1995年に開発したWindows 95に至って、ようやくMacintoshのレベルに達しました。

その後、アップル社とGUI特許の問題は生じましたが、追随してWindowsを開発したことで業界からの脱落を防ぎました。さらに、得意のマーケティング戦略で標準OSとしての地位を維持したのです。

戦略性

業界標準化(MSDOS)

1981年マイクロソフトがIBMへ納品したPC-DOSは、結局、デジタルリサーチのCP/Mを模倣した86-DOSを改良したものでした。

PC-DOSの成功をみたデジタルリサーチは、後に16bit版のオペレーティングシステムであるCP/M-86を開発し、IBMに売り込みました。
デジタルリサーチがPC-DOS の模倣性を訴えようとしたので、IBMは交換条件的にCP/M-86を自社製パソコンに対するオプションとして提供することにしました。

しかし、CP/M-86は240ドルに対し、PC-DOSは戦略的に40ドルと安く提供しました。そこで、CP/M-86を利用する人はほとんどおらず、PC-DOSが競争に勝ち業界標準となっていったのです。

業界標準化(Microsoft Office)

1989年8月、マイクロソフトはオフィススイート製品であるMicrosoft Officeを発表しました。

Microsoft Office登場以前、表計算ソフトLotus 1-2-3、ワープロ一太郎に人気が集まっていました。

マイクロソフトは、個別製品Excel、Word、PoerPoint、Accessを1つにまとめてパッケージングし、いままで存在しなかったオフィススイート製品Microsoft Officeを作り出しました。
そして戦略的に、DOSからWindowsへの移行期にユーザーインターフェイスの統一性や連携性を売りに併売攻勢をかけました。

Microsoft Officeはユーザーのニーズをつかみ、表計算ソフトLotus 1-2-3、ワープロ一太郎からの乗り替えに成功。
結局 Microsoft Officeはオフィススイート市場を支配し、競合製品に比較してはるかに高いシェアを獲得したのです。

スピード

BASICの開発

1975年1月号に掲載されたAltair の紹介記事を読んだゲイツとアレンが、MITSにBASICのデモンストレーション電話をしたとき、電話に応対したMITSのエド・ロバーツ社長の答えは、「動作するBASICを最初に持ってきたものと契約する。」でした。

しかし実は、ゲイツの手元にはBASIインタプリタもAltairシステムもありませんでした。
そこでゲイツとアレンは、ハーバード大学のコンピュータセンターに設置されていたPDP-10というミニコンピュータにアルテアで使われていたIntel8080チップをエミュレートする方法で開発したのです。
実際には、アレンがIntel 8080のマニュアル等を元にAltairのエミュレータを開発し、ゲイツがその上で動くBASICインタプリタを書く形で開発が進められました。

Altair BASICのアセンブリ言語コードのタイトルページ
出展:ウィキペディア

8週間後、不眠不休でゲイツとアレンはBASICインタプリタを完成させました。
実機もないまま作られたBASICインタープリタは、最初はうまく動きませんでしたが、少し修正して動作するようになりました。

このように、ビジネスチャンスとみたときのゲイツは、現行の資源を利用し最速で製品を完成させ、最適なマーケティング戦略で業界標準化を図ってゆくのです。

まとめ

大起業家ビル・ゲイツの

・人物像
・事業のポイント
・成功の秘訣

について整理しました。

機会をとらえて起業し、よきパートナーを得て成長・発展し、戦略を駆使して苦難を乗り越えています。
スケール感は違いますが、大起業家ビル・ゲイツといえども、基本は同じです。

是非あなたの参考にして、起業を成功させて下さい。

出典:ウィキペディア
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